ポルトガルと日本の交流は15世紀の鉄砲の伝来にはじまった。その鉄砲をいち早く取り入れた織田信長が天下をめざし、宣教師フランシスコ・ザビエルが到来、キリスト教を持ち込んだ。日本が海外をはじめて見る窓でもあった国、素朴でなんとなく郷愁を感じさせてくれるポルトガルを最初に訪れたのは、1970年代だった。
それから何回か訪ねたがリスボン市内やシントラなどの観光地をゆっくり見物することもあまりなく、ポルトガル国内を車で走り回っていた。そこで今回(2005年12月~2006年1月)はリスボンを中心とした一般観光地へのドライブ、および街角の風景を3回にわたり主に写真で紹介したいと思う。
ポルトガルという国などについては、1998年のドライブガイド「ポルトガル・海岸地方を走る」を参照していただきたい。
<コース>
リスボン(Lisboa)旧市街-ベレン(Belem)地区-エストリル(Estoril)-カルカイス(Cascais)-ロカ岬(Cabo da Roca)-シントラ(Sintra)-クリスト・レイ(Cristo Rei)
全行程 約100km
ポルトガルの首都リスボンを流れるテージョ(Tejo)川は、遙か遠くスペイン山中から流れ下り大西洋へと注ぐ。紀元前のフェニキア人、ローマ、やがて時代が下ってイスラム、そして大航海時代と、いつの時代にも航行する船を迎え、送り出してきた。
湾のように大きく広い河口の丘の上には古代ローマの砦を基礎に、12~16世紀のポルトガル王家へと、様々な時代の変遷を歩んできたサン・ジョルジュ城壁が見える。
この城跡を中心に迷路のような石畳の狭い路地が入り組んだ街がリスボンの旧市街だ。
リスボンは大きく分けて4つのエリアがある。
1755年リスボンを襲った大地震は約3万人の犠牲者と町の大半を焼失、石や煉瓦造りの家が倒壊するという大惨事であった。しかし、被害を免れた迷路のような石畳と坂道の旧市街、アルファマ(Alfama)と震災後、都市計画に基づいて造られたバイシャ(Baixa)、「低地」という意味の町並、また低地とは反対にバイロ・アルト(Bairro Alto)は、「高い土地」というその名の通り高台にある町とオフィスが並ぶビジネスの町、新市街だ。
だが、バイシャを除き、いずれも急な坂道を上り下りする健脚コースだ。そのため3つの町にはケーブルカーがあり、リスボン名物の一つにもなっている。
もちろんこの急坂に車を乗り入れることもできるが、不慣れな旅行者は市電やバス、ケーブルカーなどを利用しながら、ゆっくり時間をかけて歩いて回ることを薦めたい。
狭い石畳の道を路面電車はきしみ音をたてて急坂を上っていく。その途中にあるロマネスク様式の2つの塔と壁の教会は、12世紀、ポルトガル初代王アフォンソ・エンリケスが、イスラム勢力からリスボンを奪回した後に建てたもの。フランスの名匠ロベールとベルナルドの設計といわれている。
大地震にもビクともしなかったという堅固なもので、内部はバロック様式の回廊や14世紀ゴシック様式のバラ窓の聖堂と、それぞれの時代の装飾が施されている。
リスボン市内を見下ろす高台にあるこの城は、数々の民族に支配されたポルトガルの歴史を物語る。ユリウス・カエサルの時代ローマ人要塞として建設されてから、5世紀には西ゴート族、9世紀にはイスラム、12世紀にはキリスト教徒、そして14~16世紀にはポルトガル王家へと城主を代えてきた。
現存する城壁はイスラムの特徴をよく残している。現在は城址公園となっている。城壁に上ることもでき、無数の丘からなる市内を一望できる。
17世紀に着工し、1966年にやっと完成したバロック様式のリスボン一大きな教会。
300年以上の歳月をかけて造られたため、いつ終わるかわからない仕事のことを「エングラシアのようだ」とたとえられるそうだ。
国立のパンテオン(霊廟)で、エンリケ航海王をはじめヴァスコ・ダ・ガマ、カモンエスなど6人の英雄を祀っていたが、現在は市東部のベレン(Belem)のジェロニモス修道院に移され、宗教用具を展示する博物館になっている。
/入館料 2ユーロ(約280円)
ルネッサンス式の2つの鐘楼を持つ教会で、1147年にアフォソン・エンリケスによりイスラム教徒からリスボン奪回を記念して建てられた。現在の建物は1582~1627年にかけて建造されたもの。
正面右は修道院への入り口で、内部にはブラガンサ王朝の霊廟がある。
回廊を飾るアズレージョ(装飾タイル)や大理石造りの聖器室が必見だ。
/回廊見学料 3ユーロ(約420円)
1522年、大航海時代のポルトガルの富と権力の象徴ともいえる建物。インド第2総督の息子が建てたもの。
その特徴は前壁面が鳥のくちばしのように尖った石で覆われていることから「くちばしの家」と呼ばれている。16世紀には、王宮の一部としても利用されていた。
アズレージョとは装飾タイルのことで、ポルトガル美術の代表ともいえるものである。
アズレージョとは、アラブ語のモザイクを意味するアズレーシャ(Azuleycha)、または青色というアズール(Azul)が語源だという。アラブからスペインにもたらされ、スペインではアスレホと呼ばれて大量に生産された。15世紀末にはセビリアからポルトガルに輸入され、16世紀にポルトガル独自のタイルが作られるようになった。
そして17世紀に入ると、王宮や貴族の館では戦いや狩りなどの場面を描いたアズレージョをタペストリーとして壁面を飾った。18世紀には、貴族や教会だけのものではなくなり、公共の建物や個人の住宅にもアズレージョが使われるようになった。モチーフも風景や神話、寓話なども描かれ、やがてドイツの陶芸なども取り入れられ、青色からカラフルに、また形もさまざまに変化していった。現在では普通の家庭やレストランなどのインテリアとしても広く使われている。
ポルトガルの街を歩けば、これらアズレージョの古いものから新しいものまで見て楽しめる。
美術館にはこうしたアズレージョの歴史的、芸術的にも価値のあるものが展示されている。なかでも必見は、大震災前のリスボンの街を描いた大アズレージョだ。
元は教会だったという建物の回廊に大アズレージョが飾られている。現在のアルファマ地区と重ね合わせてみると震災前と後がよくわかる。
場所はテージョ川沿いにさかのぼるので、歩くのには少し遠い。
/入館料 3ユーロ(約420円)
「高い土地」を意味するこの地区は、その名の通り高台にある。とはいえ海岸通りから中心部へ向かって階段や狭い坂道にびっしりと古いアパートが建ち並ぶ。
そんな胸突き八丁のような急斜面に住む人々の生活を垣間見ながら歩いて上るのも興味深いが、ケーブルカーを利用するのもよい。
この高台からバイシャ(Baixa)地区を挟んで、サン・ジュルジェ城壁が眺められる。とくにこの地域はレストラン、カフェ、バー、民衆歌謡ファドを聞かせてくれるファドハウスも多く、どちらかというと夜の町という雰囲気がある。
ポルトガル独特の丸いギター、キターラといわれる楽器と通常のギターの演奏にあわせて歌う。多くはレストランを兼ねているが、軽いお酒の席もある。
ファドの起源はさだかではないが、大航海時代にイスラム、アフリカ、ブラジルなどの民族音楽が伝わり、19世紀半ばにリスボンの下町から生まれたというのが通説だ。
ファドは別名「サウダーデ」ともいわれている。サウダーデは失ってしまった人や物、あるいは時間というものに対する表現で、悲しさ、懐かしさ、寂しさ、やるせなさが入り交じったポルトガル人の感情だという。
かつてのファドはこうした物悲しい歌詞と旋律だったが、現在は悲しく辛い過去を捨て、明るく楽しい音楽に変わってきたという。
1755年の震災で破壊されたマヌエル1世の宮殿があったところ。大航海時代の凱旋門。1908年にはカルロス1世と皇太子が暗殺されたところでもある。現在はバスと市電のターミナルにもなっている。
スペインに支配されていた民族の愛国心が、1640年ポルトガルの独立を勝ち取った記念広場。レスタウラドーレスとは「復興者たち」という意味。中央には高さ30mのオベリスクが建っている。
かつてはヨーロッパ一ともいわれた巨大な市場があったところ。1949年に取り壊され、中央にはドン・ジョアン1世の騎馬像がある。
1870年代から続いているリスボンの台所といわれる2階建ての大きな市場。大西洋で獲れる豊富な魚介類から肉、野菜、果物、生花から日常雑貨までなんでも揃う。
またポルトガルの工芸品、特産品、レストランやバーまである。朝5時から午後2時ごろまで。路上駐車ができる。
かつてはリスボン最大のゴシック様式の教会だったが、大震災で壁と門だけを残し崩壊した。震災の記憶を留めるために、現在も当時のままに残してある。
テージョ川にかかる全長2,278m、リスボンと対岸を結ぶつり橋。上段は車、下段は鉄道専用だ。
1966年に完成した当時の独裁者の名であったサラザール橋といわれていたが、1974年4月25日、クーデターで倒れ、革命を記念して橋の名が変えられた。
4月25日橋を渡ったところに、高さ110mの巨大なキリスト像が建っている。ブラジルのリオ・デ・ジャネイロのキリスト像を模擬して1959年に造られたもの。中にはエレベーターがあり、キリストの足元まで上ることができる。展望台からは、まるでリスボンの町がテージョ川に浮かんでいるように見える。
ヨーロッパの西のはずれ、大西洋に面した長い海岸線を持つポルトガルは、漁業の盛んな国である。市場には日本で見慣れた鰯、鯵、鯖、鯛や平目の他にも巨大な太刀魚から鮪まである。またアサリ、カキ、ムール貝などさまざまな魚介類が店頭に並ぶ。
町のシーフードレストランには、豊富な魚介類を塩焼きにしたり、スープにしたり、香料で煮込んだりしたものを出す。目玉はサパティーラという大きな蟹だ。また、いままで他の国では見たことがないプルセービィシという名前の貝があった。貝というイメージからは想像つかない形をした珍しいもので、塩で茹でて中身を引き出して食べる。味は柔らかい貝柱のようで、なかなか珍味である。