2025年11月10日

写真の整理をしていたら1970年にマッターホルン北壁の基部で撮った写真を見つけました(下の2枚)。そこには、前年にアイガー北壁をともに登ったパートナーの融ちゃん(中野融さん)が写っていました。このとき私たちは、マッターホルン北壁の登攀が目的ではなく、数日前に北壁で墜落し行方不明になった小林君の捜索のために現地を訪れていました。

捜索中の中野、手島
来れば巣の危険を避けるため長いザイルで確保して捜索

シャモニーに滞在中、在ジュネーブ日本領事館から捜索依頼の連絡を受け、私たちはすぐにツェルマットのヘリポートへ直行。アンザイレンをし、アイゼンを装着し、完全装備でヘリコプターに乗り込みました。徒歩なら丸一日かかる行程も、ヘリの離陸後あっという間に北壁の基部へ到着。懸命に捜索しましたが、小林君のヘルメットをクレバスの底で発見したのみで、悪天候のため捜索は打ち切られました。

その遺体は、40数年後、氷河の自然崩落によって氷河末端で発見されたそうです。いつか登ろうと思っていたマッターホルン北壁には、結局いまだに登れていません。しかし、夢の中では何度も登攀に成功しています。小林君とは、遭難の2週間前にもシャモニーで一緒に登山をしており、楽しい思い出がたくさんあります。そのときは、シャモニー針峰群のブレチエール(3,522m)の北西稜を日帰りで登る計画でした。

プルチェール3522㍍。右・西壁、正面・北西陵、左・ナンチオン氷河(下降ルート)

融ちゃんたち3人はより難しい西壁に挑戦し、小林・手島組は少し易しいとされる北西稜を登る予定でした。お昼には、西壁中央部の正面に出られる地点に到達し、下部にいる融ちゃんたちに「ここで待っている」と伝えましたが、待てども登ってくる様子はなく、いつの間にか夕方に。暗くなってようやく合流できました。日帰りの予定が崩れ、5人全員で夜景のシャモニーを見下ろしながらその場でビバークすることになりました。翌日は5人がザイルでつながり、わいわいと賑やかに岩登りを楽しみました。

しかし、頂上直下に着いた頃には、なんと再び夕方。眼下にはシャモニーの街の灯りと、中心地のビアホール「アルペンストック」がよく見えました。本来なら日帰りのつもりで、そこで飲み食いしているはずが、持っていた食料はほとんどなく、雪を溶かして作ったお湯にチョコレートを溶かして飲むだけの夕食になりました。

登り始めて3日目の早朝にようやく登頂。雪崩の危険があるナンチヨン氷河を安全に下るため、グレポンの基部を慎重に時間をかけて下降し、夕方になってようやくシャモニーの「アルペンストック」に飛び込み、大ジョッキのビールで乾杯しました。幸い天候にも恵まれ、素晴らしい仲間たちと過ごした、忘れられない楽しく快適な登攀となりました。


マッターホルン遭難、後日談

上記の記事でメンバー名や分かりにくいところが有ったので、手島さんに問い合わせたところ、調べた結果の連絡が来ました。

手島さん達が捜索要請を受けたのは、及川三千雄さん(当時22)、小林正幸さん(当時21)でした。二人の遺体は融解した氷河の中から発見されたもので、2025年8月7日のAFP電が報じている。スイス・バレー州警察によると、遺体はマッターホルンの標高2800㍍地点の氷河で昨年9月に見つかった。DNA鑑定の結果、1970年8月18日に行方不明になった及川、小林さんで、在ジュネーブの日本領事館で、今年の6月から7月に確認されたという。バレー州警察には、同州内で1925年移行に遭難した登山家全員のデータベースがある。

アルプスでは山岳氷河の融解に伴い、行方が分からなくなっていた登山家の遺体が、氷の中から発見されるケースが増えている。ただ、最近は捜索・救出手段が進歩し、遭難者の行方が長い間、分からないママというケースは減っているが、雪崩に飲まれた場合は、現在も氷に閉じ込められるケースは起こりうる。

以前は氷河の末端から発見されることが希にあったが、最近は融雪が急速に進んでいるため、末端まで流される以前に、融雪によって露出することが起こっている。(syowa)