第Ⅰ部 ラリー・モンゴリア追走記
ふとしたことからラリー・モンゴリアへ出かけることになった。この春、パリダカ常連で20回連続完走の偉業を達成した菅原義正さんと、四国・松山の山田徹さんのところへ遊びに行ったのが切っ掛けだった。
何だったか覚えていないが菅原さんに所用があって電話した。話が弾んで「それじゃ山田さんの所へ行こう」となった。
ここでも当然のことながら、盛り上がる。ラリー・モンゴリアやカシュガルからエベレスト山麓へのバイク・車のツアー、昨年の楼蘭・ロブノールの旅…。いつしか1992年のパリ~モスクワ~北京の話になった。山田さんは3台のランクル・チームを率いていた。ジジはヘリコプターで飛び回り、レポートするのがあのときの仕事だった。
今でも鮮明に覚えているのは、山田さんの車が小さなワジ(水の流れた後のくぼみ)を渡らず、タクラマカン砂漠の奥へ奥へと向かう砂丘群に入りそうになっているのを見つけたこと。ヘリはよほど予定の航路を外れなければ自由に飛んでいいことになっていた。山田さんの車の上でホバーリングし、とって返して渡る地点でもホバーリング。気づいた山田さんが戻るのを見極めて、トップ集団を追いかけた。
あれから17年が経過した。その間、様々な旅をし、世の中は大きく変わった。アフリカを従横断したり、サハラを駆けめぐることは、今やリスクが大きすぎる。ヨーロッパからアジアへと伸びるアジアハイウェーも、小競り合いや戦乱の地となってしまった。山田さんや菅原さんと話しているうちに、砂漠や草原の広がりが眼前に浮かび上がり「おれも行こうかな」となった。
話は早く、その場で申請書を書きさらに話題は長い間日本のトップラリーストだった篠塚建次郎さんに移った。誰が言い出したのか、定かではないが「カミオンバレーを運転してもらおう」で一致した。篠塚さんに電話した。
「エー?トラック?おれはまだ現役なんだけど」
「そう言わずにシノケン・ファンも多いんだから、サービス精神でカミオンバレーをやってよ。参加者は張り切ると思うよ」
菅原さんもパリダカ仲間のよしみで、何度も電話したようだ。
そんなことで篠塚さんと山田さんがどこかで会い、異例の参加が決まった。面白いことにトップを狙い続けた男は、今回、決して前に出てはいけない巡り合わせだ。落伍者を収容する役割のトラック・ドライバーだから、前に行かれては役に立たない。こういうことがあってこそ、冒険的なラリーは面白い。篠塚さんもきっと、ラリーの全く異なった側面を見ることになると思う。
モンゴルの砂漠というのはどういう具合なのか、まだ写真でしか見たことがない。パリ~北京の時にはタクラマカン砂漠の西側や内モンゴルを通ったので、似たようなものかな、と思っている。天山山脈が聳えるので険しい地域があるのはもちろんだが、ゴビ砂漠も深くモンゴルへ入り込んでいる。
「イトウのでっかいのが釣れますよ」と以前、菅原さんがモンゴルの友人から送られてきた写真を見せてくれたことがある。1㍍は優に超す凄いヤツを10匹以上並べていたのには驚いた。今度もそう言う場所近くにキャンプする予定だったが、動物に病気がはやったとかで立ち入り禁止になったと言うことだった。
「ほんの数年前までは、いくつもの川でイトウは沢山釣れたんですが、今は中国人が食料として買うことが分かり、乱獲で減っているようです。絶滅状態の川もあるそうです」と山田さんはいっていた。日本の川でも山奥の溜まりに撒き餌をしてイワナを釣る不届き者が出現している。人間の欲は限りない者なのだろう。株で儲けた人はさらに儲けようとするし、投機にはまりこんだ人は次々と深みにはまる。何もモンゴルのイトウばかりではないのだ。今の世界不況にしてからが、アメリカのごく限られた人たちの思惑と悪知恵が、世界経済をにっちもさっちもいかないようにしてしまった。
爽快な気分を味わい、過酷なラリーにチャレンジする人たちは、夢追い人間なのだろうと思う。夢を追ってこそこれからの人生に楽しみが生まれる。今は随分と早々と物事を諦める人が多いようだが、甘えの精神も人々を蝕んでいるのかも知れない。ラリーはリタイヤするまで、誰も助けてくれない。自分の判断、自分の力、精神力が頼りだ。
今の時代限られた人を除けば、皆苦しいのだが敢えてラリーに参加してくる人たちも、何となく観察してみたい。きっと夢を持って生きている人たちだろう。
8月1日
ウランバートルへやってきました。篠塚建次郎さんや関東からの参加者と一緒の便です。これまでいろいろな国を旅してきましたが、初めてのモンゴルはなんだか新鮮な気持ちがします。中国上空を通過したのですが、あいにくの雲で天津とおぼしきあたりでちょっと島をつなぐ橋が見えただけでした。いささかもめているウルムチあたりを“雲のカーテン”が覆い隠したのかな、と愚にも付かないことを考えながらぼんやりと過ごしました。
モンゴルへ入ったあたりから晴れてきて、半砂漠状態の平原が広がっていました。殆ど川の跡もないような平原です。ウランバートルへ近づき、やっと蛇行する干上がった川が出てきました。地上に起伏も出始め、岩ばかりの山が砂漠に現れました。サハラ砂漠にも似ていますが、サハラのようなテーブルマウンテンではなく、ちょっととがったように見えました。
ウランバートルが近づき、突然の緑です。トゥラー川に沿って首都ウランバートルの市街が延びています。この川は遥かバイカル湖へと流入します。世界一の透明度、世界一の淡水貯水量を誇る湖は、モンゴルの大地がクリーンである証明でもあるのです。
♪豊かなるバイカルの果てしなき…、こんなロシア民謡を思い起こします。随分遠いところへ来たように思いました。サハラやカラハリ砂漠、南米の国々の方がずっと遠いのですが、中央アジアはまた別の感慨を持たせるようです。遠い、遠い日本のどこかへ来たような、不思議な思いがかすめます。
空港には山田徹さん、菅原義正さんが来てくれていました。篠塚さんとの記念撮影をして=写真上=ホテルへと向かいました。
「この国は大きく変わっています。急変です。その変わり様はずっと見てきました。初めて来たときには、何にもない街でしたけど…」と山田さんはいいます。モンゴルでラリーを開催するのは今年で13回目です。よくも日本人が外国でこれだけ続けてラリーを開催してきたものです。
世界不況のさなかですが「頑張って継続したいと思います」と、その心意気は良し、です。篠塚さんもその意気に感じてカミオンバレーというお門違いのトラック運転を引き受けたのでしょう。菅原さんも息子の照仁さんとともにやってきたのです。
既にすべての参加車は運び込まれ明日の車検を待っています。国立公園内のホテルは森林と草原へと続いています。草原にはゲル=写真=が作られ観光客も泊まれます。空港からホテル、ホテルから街への間には、放牧場が沢山あり、コンクリートの建物のすぐそばには、羊、馬、牛が放牧されていて、車は何度も止められます。警官ではありません。動物が我が物顔です。この国は100年、200年、いやもっともっと昔の世界と現代そのものが同居しています。
明日またウランバートルをうろつき、明後日からは砂漠へと出かけます。
8月2日
ウランバートルの空港からホテルへと向かう途中、、奇妙な電柱が連続していることに気づいた。ムッホ・アムガランさん(36)に尋ねた。
「牧草地を秋になると焼きます。その時電柱に燃え移らないように、下の方はコンクリーtの柱にし、それに木材の柱をボルトで留めるのです」
見事に生活の知恵が生かされている。コンクリート柱に記を継ぎ足すことでもしないと、乾燥した草原ではいくら電柱を立て替えても間に合わない。
ムッホさんは達者な日本語だ。奇妙なファッションをした日本の若い女の子よりも語彙も余程豊富なことが話していると分かる。まだモンゴルが共産主義時代に祖父母が日本へ留学し、マスターした日本語を、ムッホさんは幼少の頃から教わったのだという。今度のラリーでは全体統括のモンゴル側担当者で、ドクターとともに移動すると同時にコース上の安全管理に目を配る重要な役目を担っている。
ラリーにのモンゴル側オフィシャルは20人。そのほか大勢のモンゴル人スタッフが日本からやってきたオフィシャルとともにラリーをコントロールする。1日には総括責任者、山田SSER代表が日本人スタッフ、ムッホさん、ドクターを集め細かい役職のすりあわせを行っていた。
車検・2日
スタートを明日に控え、2日にはウランバートルで車検が行われました。菅原義正さんが丹誠込めて作り上げたカミオンバレー(落伍者収容トラック)のドライバーは、かつてのパリダカ優勝者、日本のラリー・エース篠塚建次郎さんです。
菅原さんから運転席の運転席の篠塚さんへ握手でバトンタッチです。菅原さんはジムニーで走ります。




取り扱いを説明する菅原さん(左)と篠塚さん=左=、車検を待つバイク、菅原照仁さんはお馴染み、日のレンジャーでエントリー、モンゴルのサポートトラック。荷を満載して移動する=右端=
午後6時からルートの説明です。篠塚建次郎さんが紹介され、挨拶は砕けたものでした。
「今はそーらカーを始めています。7年くらい駆けて世界の大会に出場し、最後はそーらカーでパリダカへチャレンジできればいいと思っています。今回は今までと違って、追い抜いてはいけない役割ですが、これまでの癖で、追い抜くこともあるかも知れません。皆さん、追い抜かれないように…」と話し笑いを誘っていました。
篠塚さんの運転するカミオンバレーは、菅原さんが日野レンジャーの新車を購入し、自らカミオンバレー用に作り上げたもので、SSERへ寄贈したことが報告されました。新車のトラックを寄贈とは剛毅なもので、ラリー・モンゴリアに熱を入れていることがよく分かります。
参加車の中には、モンゴルの交通警察隊警護隊長のジョルガル・サイハンさん(51)の顔も見えました。大統領、首相を始め要人警護の総大将です。ラリー・モンゴリアには今度で9回目の参加です。
「ラリーは大好きです。もう32年間、ラリーをやっています。氷上レースなどにも参加してきました。今回も頑張りますよ」と言っていました。
通称ジャガーさんはラリー車が警官にストップさせられたときに「ラリーで走行中」と書かれた交通隊長の証明書を警察当局と話し合って出すことを決定。参加全車に配布されている。効果のほどは分かりませんが…。
しかし、ですねー、警察は縦社会ですよ、日本に限らず。
「これが見えぬか!」と差し出せば、おそらく「葵の御紋が付いた印籠」並みの効き目はあるかも知れない。ジジの勝手な推測ですが…。
=写真はジョルガル・モンゴル交通警察警護隊長と篠塚さん=
8月3日
○…ラリーはエルデネサントへと移動しました。平原の中のキャンプです。日暮れになって車やバイクは到着しつつありますがウランバートルから一旦南下し、三角形の2辺を描くように再び北上し、距離は242.20㌔ほどです。遥か離れた岩山の裾に、小さな村がありますが、平原は丘陵をまじえながらどこまでも続いています。短い草が生えてはいますが、まばらで歩くと土ホコリが舞い上がります。
○…バイクや車がスタートしていった後に篠塚さんのカミオンバレーが出発しました。40㌔離れたSSまではバスで移動することになっていました。ドクターや自然公園を担当する人たちも一緒の筈でした。ところがバスが来ません。運転手を入れて10人乗りの車だけです。
「車はこれしかない」というのです。荷物を積むと4、5人はどうしてもあぶれます。本部の荷物があるのでどう詰め込んでも無理です。
「カミオンバレーに乗ろう」とジジ。
「もう出発したかも知れない」と本部の黒川さん。
とにかく電話して「カメラマンなど4人が乗る」と伝えましたが、戻る気配はありません。とにかくスタートのゲートまで行こう」と移動してみると、荷物を持った5,6人がいます。
黒川さんに再び電話して貰いましたが、どうも話が進みにくいのでジジがでました。
「カメラマン3人とオレガあぶれる」
「引き返すのですか」
「そう、ゲートのところまで引き返してくれよ」
かくして篠塚建次郎さんのカミオンバレー初仕事は、落伍者を拾う前に、ジジとカメラマン3人を収容し、40㌔走ってヘリの待つSSスタート地点へと運ぶお仕事でした。
○…パソコンの設定がうまくいかず、昨日から今日にかけてモンゴルのページが消えてしまっていました。インテルサットを使うので、ソフトを入れるのですが、どうもうまくいかず、平原の中のゲルで3時間も奮闘しました。いい加減、いやになった頃にパソコンの名手でもある菅原照仁さんのトラックが到着しました。
「照ちゃんにやってもらおうかな」
具合良く本部テントの方へ歩いてきます。
「今日は始めからオーバーヒートで酷い目に遭いましたよ。ハーフスロットルで走るので右足が痙りそうになっちゃった。パリダカなら殆ど全開だからこんなことはありませんよ」と愚痴ります。
何時間も運転し続けのドライバーに「パソコンの接続を見てくれ」とは言い出しにくかったのですが、遠回しにいいました。
「疲れてる人には頼めないよな」
「設定ですか?これができればモンゴルの記事を送れるの?」
「送れるよ。でもこれがダメだとウランバートルまでアウトさ」
「それじゃ、やってみますか」
ゲルの中で20分ほどマニュアルを見ながらやってましたが「これで良いはずですよ」と繋いでみるとちゃんとホームページが出てきました。そこでまずは前の記事を送り、この記事になったわけです。
○…菅原義正、尾上茂“両巨頭”のジムニー対決は、知る人にとってはとても面白いのです。スタート前、尾上さんが通ったので「お早う」と声をかけましたが、厳しい顔をしてまっすぐ歩いていきました。菅原さんがいたので「尾上さん、緊張しておっかない顔をしていたぞ」と言ったら笑いながらいいました。
「ジムニーで2人は争ってるのよ。オレがモンゴルで2連勝だよ。今年は3連勝してギャフンと言わせてやりますよ」
その菅原さんが何時間も遅れてしまいました。菅原さんの息子・照仁さんと尾上さんは、キャンプで夕日を浴びながら話していました。
「ライバルがいなくなって、張り合いがなくなったよ。3回も続けて負けてたまるかよ。これでラリーの勝負は着いたな」とビール片手に高笑いです。菅原さんは暗くなって着きました。
「穴へ落ちるたびにエンジンが止まっちゃうのよ。カミオンバレーにも追いつかれちゃった」と言って尾上さんを探しに行きました。
○…そう言えばカミオンバレーもまだまだです。篠塚さんのパリダカ全盛期には、プレスカーなどに乗っていて丸1日掛かるところを4,5時間で走り抜けていました。ジジたちがの1日仕事を半日で終わります。今日は主催者の山田徹さんと一緒ですが、何時に着くことやら。遅い車やバイクがいる限り、CPを閉ざす時間までは最後尾の車かバイクにつきあうわけです。
「大変な仕事だな、こりゃ」と帰ってきたらいうことでしょう。
○…ゴビ砂漠の北、ソクトオボーにつきました。ウランバートルから南南西、約350㌔くらいのところです。草原の国もこのあたりは砂漠です。何となくサハラの競り合いを思い出します。フラットな砂漠を突っ走るラリー車は豪快です。砂ホコリの尾を引いて地平線の彼方の岩山を目標に走り続けます。
○…ちょうど菅原義正さんが本部テントへやってきて「セルモーターが壊れちゃった。エンジンをこれから10日間、回しっぱなしにするか、何とかウランバートルから部品を取り寄せるか、今話し合ったりしていますよ」と言います。ビールをどこからか持ってきて「これを飲もうよ」と言います。
自分の車が壊れたのに、息子の照仁さんやそのメカニックたちに“お任せ”ですから、これはとても楽しいレジャーでしょう。ラリーが終わるまで、エンジンをかけっぱなしは無理でしょう。当然冗談ですが、トラブル続きでビリッケツの方を走りながら、完走するために頑張ることもまた、ラリー大好き人間の性なのでしょうか。(写真は馬でやってきた少年と菅原親子のジムニーとレンジャー、立っているのは菅原さん)
○…ちょうど砂嵐が来て、雷が鳴っていました。雨も少し降りました。テントは大騒ぎですがゲルの中は信じられないほど快適です。丸い形をしているので、どの方向から風が来ても対応できます。しっかりと木組みをし、角材を菱形にくみ上げる蛇腹方式の約1㍍50くらいの高さのものを4つ組み合わせて紐で繋ぎます。屋根はドーム型で中央を丸くし、8本の木を組んでを中央の小さな円に集中します。
ドーム型の天井の真ん中には全体に張りを持たせるための紐が取り付けられ下には砂袋の重しがあります。周囲は本物のフェルト、羊の毛を分厚く固めたものです。遊牧民が長い生活から作り出したものでしょう。
○…エルゼンダライという小さな村にRCP(休憩チェックポイント)が設けられていました。上空から見ると砂漠の中の小さな、小さな村です。その時、なんだか日本の寺院と同じような屋根を見つけました。前夜、山田徹さんが言っていました。
「RCPのあるエルゼンダライは、お寺があるんですよ」
そのお寺だろうと思い、ヘリが着陸し、CPに歩いていくとき「お寺へ行ってみましょうよ」と言いました。
「それじゃ、車を手配しましょう」
そこでワンボックスに乗って行くことになったのです。山田さんとジジ、それに近くにいたカメラマン1人を誘い、お寺へと向かいました。道が悪いので車なら5分ほどです。歩いても15分はかかりません。
お寺はチベット仏教、ラマ教でした。
寺院の中にはラマ教特有のマニ車があり、ジジも回しました。一番奥には大きな椅子があり、そこにダライラマの写真が鎮座していました。
○…砂漠地帯になりラクダの放牧も見かけるようになりました。アラブ、アフリカで見てきたラクダは、1コブですが、ゴビのラクダは2コブです。どうして1つと2つになったのかは知りませんが、それなりの理由があるのでしょう。動物学者や物知りに会ったら聞いてみたいところです。
○…ラリーは周回ステージです、ソクトオボーの村から4㌔ほど離れた砂漠の中のワジ(涸れ沢)にキャンプがあります。太い木がまばらに生えているのは、昔から水脈があったことを示しています。小さな木が内のは、放牧され散る駱駝や馬、羊などがみんな食べてしまうからでしょう。今朝も10頭ほどの駱駝がやってきて、ろくに生えていない草を囓ったり、数少ない木の下に行くとクビを目一杯伸ばして下の方の葉を食べます。しかし、とっくに自分たちで散々食べているので、口が届く葉はありません。
メタボとか言って太ることを恐れている人が多いようですが、ほどほどのメタボ?(そんなのあるのか、の声)は、いざというときに必要です。ラクダの=写真・右上=をよく見てください。コブはきっちりと蓄えがあるのでしっかりと立っています。食いの細いラクダや年寄りは、コブがだらんと垂れて、みっともないのです。
○…ゴビの駱駝は昨日も書きましたが2コブです。アラブや北アフリカでは皆、1コブです。カザフスタンあたりまでが2コブで、そこから西は1コブになるようです。子供の頃、駱駝のコブを不思議に思っていました。誰だったか大人に聞いたところ、真面目な顔をして言いました。
「あれは水タンクだよ。あそこに水を溜めているから、砂漠などで長い間、水を飲まなくても生きていけるんだ」
そう信じていた時間はとても長かったように記憶しています。今でもまだ、どうして2コブと、1コブに分かれるのか気なります。
○…キャンプでそんな話をしていたら、菅原義正さんだったか、山田徹さんだったか、誰かよく覚えていませんが「燃料タンクを2つに分けるのと、1つで大きいのをつけるのと、同じことじゃない」と言いました。環境によって走ったり、歩いたりのバランスが、燃料タンクを分けて前後に配置することになったのだろうと笑いで終わりました。ま、こぶの中は脂分が沢山入っているというので、燃料タンク説も砂の舞うオアシスでゲルの夜話には適当かも知れません。
○…今日のループは約240㌔です。砂漠を1周して戻ってきます。カミオンバレ-は何か問題が起こったときに出動です。従って篠塚さんはおや休みです。ジジはもちろんお休みで、ゲルの中で転がっていたら菅原照仁さんやってきて「篠塚さんが僕の車を運転して見るそうです。一緒に乗りませんか」と呼びに来てくれました。早速出向きました。
砂漠ロードを走ります。走る、走る。
「具合が良いね。これじゃプライベトの一番早いのにも負けないね」
「ギャップや穴もアクセルをうまく合わせればショックもなく抜けていきますよ」
「良い調子だね。思い切りドリフトさせれば、良い気持ちだろうね」
こんな具合で10分ほど走り回りキャンプへ戻ってきました。 シノケン日野レンジャー初試乗は上々の印象のようでした。
○…キャンプ用品などを運ぶ地元のトラックがトラブルを起こし、深夜になっても着きません。幸いゲルが5張りあるので、ゲルの中でごろ寝です。枕がないので水の1.5㍑入ったペットボトルを枕代わりにしました。
「熱が出たら昔は水枕をしたもんだ」などと思い。頭が冷えるのは悪くないかな、で寝たのですがどうも具合がよくありません。結局、ザックを枕に取り替えました。
○…ラリー参加者にはいろいろな人がいます。変わり種は北海道・砂川病院の医師・雨森英彦さん(45)でしょう。7月17~20日のラリー・北海道へ出場し、すぐにモンゴルへやってきています。
-お医者さんだそうですね。
「ええ、そうです。病院にいます」
-出身も北海道ですか。
「いや、出身は東京ですが、学校が北海道だったので、そのまま旭川近くに住んでいます」
-バイクはいつからやっているんですか。
「学生の頃から始めましたが、外国でのラリーは初めてです。バイクも新しいのを買ってきたんです」
-3日間走ってどうですか。
「昨日のSSはこの世のものとは思えないほど素晴らしいところでした。砂漠を走りながら、あの世を走っているのじゃないかとまで思いましたよ。あれだけで十分に来た甲斐がありました」
その3日目のループSSでスタートとから5㌔ほどのぬかるみで雨森さんは失敗しました。深い水の溜まった轍から抜け出たところで草の根が盛り上がったところで転倒。GPSをなくしてしまったのです。SSを終わった後でモンゴル側のラリー責任者、ムッフ・アムガランさんとともに、ジジも車で探しに行きました。駱駝の群が遊んでいるぬかるみを歩き回りましたが結局見つかりませんでした。
-明日から大丈夫ですか
「予備があります。細かいポイントは入りませんが、GPSはあるので大まかな方向は分かります。コマ地図もあるし、大丈夫でしょう」
砂川病院では麻酔科の医長で5人のチーフです。病院で手術などをするには絶対に必要な医師です。長い間、ラリーで仕事を空けるけれど「土日に出勤したり、やりくりしています。バイクは好きですから、最後まで頑張って楽しいラリーの思い出を持ち帰ります」と言っています。
○…昨夜、山田さん、菅原さん、篠塚さんとゲルで盛り上がりました。現地の人が売りに来たビールを山田さんが買ってきて、1本くらいずつ飲んだだけですが、飲まなくても賑やかですから、当然盛り上がります。本部運営・事務を仕切る黒川吉見さんが賑やかな男どもにちょっと口を挟みました。
「ヨボヨボ話が面白いですね」
ジジ(70)も菅原さん(68)も “ン?”
「なに?ヨボヨボ話?」と菅原さん。
「ヨボヨボ話とはうまいことを言う」とジジ。
「違いますよ。四方山話ですよ。ヨモヤマ!」
こんな冗談を言って、それぞれがリラックスしています。知らない土地で神経質になっていたら到底、体が保ちません。どういう風に気になるかは人によりまが、その“しがらみ”を吹っ切り、その時に一番大切なことに集中できるようにするかが大切です。これができない人には、冒険的な旅や個人で外国を旅することをお勧めできません。
「こんなものかな」
「前にもこういうことがあったようだな」
ま、これでお終いです。あとは残った仕事をするなり、寝るなりでしょう。こうやってジジは50年間もいろいろな国を旅してきました。
○…ラリーはアルベイヘールへやってきました。ゴビ砂漠の中の小さな村です。上空から見るとまるで今開拓が始まったのかと思うような、区画整理された囲いの中に、家やゲルが建っています。ここへ来るまでの間はサハラ砂漠と同じような砂の広がりが続いたり、中央アジアから西に帯のように続く草原の広がりが見事でした。本当に時たま、遊牧民のゲルがあります。放牧されている羊、馬、駱駝がヘリコプターの音に驚き、草原を疾走します。
○…給油を兼ねたチェックポイント=写真=にヘリで降り、2時間ほどいました。晴れて暑い日でしたが、しばらくすると風が出て、遠くで雷が鳴ります。地平線には入道雲の列が現れていました。
「ゴビ砂漠でこんなに入道雲が出るのを始めてみますよ」と山田徹さんが言います。風が出てきたので、これは来るぞ、と思っていたら案の定、雨が降ってきました。砂漠の雨です。結構強く降りましたが、すぐに雷とともに風は逆方向に変わり、雨を引き連れて過ぎていきました。
7日、8日統合版
○…昨日は激戦でした。ウランバートルから約500㌔ほど南西のアルベイヒールのキャンプ地を起点に、480㌔の周回SSが組まれていました。約3000㍍の無名の峠を越える難所もあります。この峠は無名だったので、主催する山田徹さんが勝手に“スガワラ峠”と名付けました。
「そのうち、モンゴルの地図に載るぞ。載せるように働きかけよう」と言っていますが、果たしてどうでしょう。
世界最高峰エベレストはイギリス人のつけた名前です。何でも自国の呼び方ではないと気が済まない中国が、チョモランマと呼ぶように主張。日本のマスコミはこれに迎合しましたが、今はまたエベレストに戻りつつあります。山の呼び方がいくつもあると紛らわしいですが、2つくらいなら山好きの人にはどうということはありません。瓢箪から駒、の例えもあるように、本当に地図に載る可能性もあるわけです。
石ころだらけの酷い道をたどり、峠に着きます。生憎、曇っていて展望は利きませんでしたが、全山薄い緑に覆われた緩やかなうねりです。日本の高原のスケールを数倍大きくしたように感じます。キチンと走れば危険はありませんが、急で道は滑りやすい砂状です。3000㍍の山へ車やバイクで登れるのもこの峠の魅力です。晴れていたらモンゴルの大草原が展望できたろうに、とても残念です。
そのスガワラ峠で「菅原さんと尾上さんが迷って反対側に下った」という噂が流れました。本人に確かめたら「迷いませんよ。何度も行ってるから知ってますよ」と言ってました。さてどうですか、詮索するほどのことではないですか…。
○…馬、羊、山羊に混じってヤクが姿を見せ始め、高度が上がるにつれて、ヤクが主流になりました。牛の毛を長くしたような、アメリカのバッファローより頭は小さいけれど、いかにも強そうな姿です。
腹や尻の毛がやたらと長く、ボロをぶら下げているようです。寒さに耐える防寒装備を夏でもしています。腹を冷やしてはいけない、と昔言われましたが、ヤクは雷様にへそを取られることはないでしょう。
冬毛はもっともっと濃くなるそうです。デカ物なのに臆病で、近づくとすぐに逃げ足です。
近くで見ると何となくみっともない格好に見えませんか?=写真=。ボロを引きずっているようにも見えますが、寒い冬を生き延びるには、格好などいっている暇はありません。化粧第1、車は第2の女性コンビとは異なります。
○…驚く参戦チームがありました。初日からバタバタなのは良いのですが、1日走ったらなんとデフロックの溶接が駄目になり、FRで走ることになりました。日本の女性コンビです。バイクの1人を加えても女性は3人だけなので、男ばかりの中で人気はあります。キャンプでは男性アドバイザーの山です。
社名や人名はこの際、伏せておきますが、車をモンゴル仕様にするまでには2転、3転して最終的には4輪駆動の切り替え式を敢えてでデフロック方式にしたそうです。改造したのは元日本のラリー・ドライバーですが、何故クロスカントリー・ラリーに低い車体、デフロック、さらにストロークの極度に短いクラッチなどにしたのか、モンゴルに来ているパリダカ常連たちは驚いていました。
さらに、タイヤの積み込み、交換なども何の練習もテストもしてこなかったとしか思えません。日本のラリー好きなら知っている人が合計4人も絡んでいるのにこの有様です。どうも日本の元ラリー屋さんは、パリダカやモンゴルなどを始めとするクロスカントリーの車がどうなっているのかを全くご存じないようです。新車を提供したスポンサーは大笑いでしょう。ペナルティーの山に埋もれ、舗装路や一般路を走りながら「完走を狙う」とおっしゃるのには、もう敬礼するしかありません。
○…篠塚建次郎さんのカミオンバレーは7日に2度目の“大仕事”となりました。バイクで転倒し左大腿骨と右膝を骨折したライダーを240㌔ほど離れたキャンプ地まで運ぶのです。
「今日は救急車だな。両足を骨折してるんじゃ、運転席の後ろにある仮眠スペースを使うほかないな」
けが人を運ぶのは大変です。速く走りギャップや穴があるとトラックは大きく跳ね上がります。そうでなくても運転席は前輪の上にあるので衝撃は強いのです。スガワラ峠を越し、CP1までシノケンさんと一緒に乗ってきたジジは、ここでモンゴル人ナビと交代です。夜道のダートを走るのは、様子を知ったモンゴル人に限ります。
○…バイクの1人が行方不明になりました。スガワラ峠で3時間も迷い、やっとCP1へ到着し、CP2、ゴールを目指したのです。普通に走れば当然、COP2を通過する時間になっても着きません。山田さん、ムッホ、ジジの乗った車には次々と連絡が入ります。
○…外は真っ暗です。曇っていて月明かりもありません。
「人は暗くなると不安だからな…」と山田さんがつぶやきます。しばらく無言でしたが無線を取ると、けが人の搬送を篠塚さんに任せた後で、8日のCP予定地へ向かっていたスタッフにこの日のCP1まで戻り、コースをトレースして捜索するように連絡しました。40㌔ほど走っていたでしょう。
「了解しました。では戻ります」
ジジたちの乗った車と後ですれ違いました。
次にCP2のスタッフに呼びかけます。
「行方不明のバイクが着くまでCPにとどまってくれ。CP1から捜索していくグループと合流してくれ」
○…これもあっさり了解です。なかなかのチームワークだし、夜の草原で徹夜を指示され、あっさり承知するのも今の時代、珍しいくらいです。何かあると労働時間だ給料だ、待遇だと喚くのが当たり前のようですが、こういうやりとりを聞いていると「やる気のある人、平気で努力する人はまだまだいるんだな」と心強く思います。だからこそ、怠け者を成敗しないといけません。
○…ところでその行方不明者ですが、捜索隊が深夜に動き回り、本部は徹夜で交信しているというのに遊牧民のゲルでお休みでした。緊急連絡用のイリジウム電話は「戻ってくるので荷物に入れてキャンプに置きっぱなし」だったそうです。これは無責任の極みです。自分を探している人のことなど、考えもしないのです。
「行方知れずになり、死んでしまうよりはゲルに避難してくれて良かったです」と山田さんは言います。後にその男に会っても「無事で良かったですね」と話しかけていました。ジジには到底出来ません。
○…スタッフがゲルを見つけ次第、聞き込みをしているとき、遊牧民の1人がやって来て「昨夜遅くなってバイクがうろうろしていた。危ないからオレのゲルに泊まれ、と連れて行った」と捜索隊の通訳に話したのです。男のゲルに急行すると、ちょうどバイクに乗って出かけようとしていたそうです。モンゴルの遊牧民は親切です。このあたりにはオオカミもいます。現地の人の話では男の大人は襲われることがごく少ないそうです。それでも、ひっくり返って息絶え絶えなら、オオカミのエサになっても不思議はありません。
○…自分の命を守る緊急用電話を置き去りにし、迷いに迷って連絡も取れないのです。ジジは夜、山田さんと一緒にいながらかなり怒りましたが山田さんは咎めることより、どう救出するかに知恵を絞っていました。
朝になって無事との連絡。そしてバイクが帰ってきました。
「飯でも食って一休みしてください。今日は走れません。明日の朝のスタートはできます」
遊牧民に拾われゲルに収容してもらえなかったらどうなっていたでしょうか。ジジには到底、主催や競技長などできません。
9,10日統合
○…8日の夜は地獄でした。15年間モンゴルで試走やマップ作りを続け、13回ラリーを主催している山田徹さん(SSER代表)は「こんな悪天候は初めて」と言うし、10年出場している菅原義正さんも「こんな天気はとんでもない異常気象ですよ。夏のモンゴル平原は、スコールみたいに強い風と通り雨はありますが、今日のように低気圧がドンと居座った、台風のような天気なんて初めてですよ」と言います。 モンゴル人スタッフも驚くのですから、ラリーが混乱するのは仕方がないことです。(写真=ハラホリンの復元された寺院。埋もれていた瓦などを使い、建てたものです。建物の少ない草原の民の貴重な遺産です)
○…ジジはヘリコプターでハラホリンまで一気に移動です。前日前日から朝にかけての激戦とは比較にもなりません。何しろ天候が違います。雪やミゾレに変わっても不思議はない大雨が強風とともにラリー・コース一帯を襲い続けます。、アルベルヘイルを飛び立つのは12時の予定でしたが、片付けが早く済んだので11時40分に離陸しました。もし、12時までアルベルヘイルのキャンプ地に留まっていたら嵐に襲われて、ハラホリンまでの飛行はできなかったでしょう。
○…本部がハラホリンに移動して間もなく、猛烈な風と雨です。参加車はゲルに宿泊することになっていて、観光客用の大きな“食堂ゲル”もあります。たどりつけさえすれば、暖かいところで食事もできるのです。しかし、本部にはスタッフを緊張させる情報が飛び込んできます。
「○×番がCP未着」
「×△番とモンゴル人のバイク2台が不明」
そんなときにイリジウム電話にとぎれとぎれの呼び出しと、取った途端に切れてしまう△△番からの連絡があります。やっと話せた時に電話の主はいいました。
「ガソリンがもうありません。寒くて動けません」
山田さんが電話を替わります。
「カミオンバレーを向かわせるので頑張っていてよ。防寒シートを体に巻いて、食べるものをできるだけ食べて、懐中電灯やヘッドランプで居場所が分かるようにしておいてくださいい」
○…捜索車が2台、まだ3台の到着していないCP2へ向かいます。猛烈な風と雨です。雪になっても当然の寒さです。そこへモンゴル側の責任者、ムッホから連絡です。
「私の車と小松さんの車がスタックしました。篠塚さんは近くにいますが、今以上、近づけないです」
山田さんが応答します。
「3台のありったけの牽引ロープを繋いで、やってみてくれ」
それから15分ほど経ったでしょうか。ムッホから「カミオンバレーもスタック」の連絡です。」
何ということだ…。
○…厳しい事態に菅原さんが乗り出しました。
「照(照仁さん)のカミオンはデザートタイヤだから、行かせるとスタックするリスクが高い。私のチームのメンバーを私の乗っている車で行かせても良い」
山田さんは冷静に判断を下しました。
「一応、スタッフの配置は終わったので、事態を見極めます」
篠塚さんは何とかぬかるみを脱出しました。さすがにプロです。モンゴル仁スタッフのチーフ、ムッホと小松さんは、嵐のぬかるみの中で石を捜し「石を敷いて道を造っています」と連絡してきました。ムッホは驚くほどタフです。チンギス・ハーンの軍勢が家族ぐるみで移動しながら、何物にも負けないタフな塊だった歴史を思い出します。(写真=深夜も行動するカミオンバレーの篠塚建次郎)
○…明け方になってカミオンバレーは到着しました。骨折した2人と動けなくなっていた1人、合計3人とバイクを積んで戻ってきたのです。
「イヤー、きつかったね。疲れるというよりステージ終了から100㌔の移動区間が眠くて、眠くて。そっちの方が大変だったよ」と篠塚さんは笑います。明るいところが助かります。前日は3時間ほど仮眠しただけです。2日間で3時間ほどの睡眠ですが、やはり運転のプロは違います。
○…猛烈に寒い夜でした。キャンプに着いたとき、先行している設営隊がいいます。
「ここへ着いたときは猛烈な嵐で、ミゾレだった。夏、8月ですよ」
厳しいモンゴル平原の姿です。篠塚建次郎さんとジジはテントです。ゲルはフェルトで保護されていますが、夏用の布1枚だけのテントは寒気が身にしみます。スリーシーズン用の安物シュラーフを買ってきたので、化学繊維の薄い詰め物があるチョッキ、スキー用のゴアテックスのヤッケを着てもしんしんと冷えます。
○…日が昇るまでの大混乱は“台風一過”で10日の朝は嘘のように晴れました。ラリーは順調に進み、昼過ぎにはウランバートルのチンギス・ハーン・ホテル前に到着。日程を終了しました。
ラリー・モンゴリアは10日にゴール。11日夜に表彰式がありました。旅芸人の一座はゲルを積んだ大きな荷車が楽屋で、もしかしたら住居であるかも知れません。ラリーを終わって、皆ニコニコ顔でした。ダカール・ラリーほどではありませんが、チュニジアやモロッコ・ラリーの日程とほぼ同じです・金儲け主義のFIAとは一線を画しているので、JAFに馬鹿馬鹿しい競技ライセンスなど交付して貰う必要もありません。モンゴルは日本人には馴染みやすく、治安も問題ないので、思う存分にラリーに集中できるでしょう。
ラリーに同行していくつかの素晴らしい発見がありました。
北は森林地帯、南はゴビ砂漠、その間に挟まれるようにステップ地帯が広がります。今回のラリーはステップ地帯、ゴビ砂漠の北縁などが主体で、北部のシベリアへと延びるタイガへは踏み込みませんでした。ステップ地帯にも山はあり、過酷な自然に適応したヤクの放牧などは、ジジにとっては珍しいものでした。
ゴビの北縁は崩れきった山々の骨格、岩山がところどころに残っていましたが、アルタイ山脈から天山山脈へと続く、壮大な山群が、ゴビに飲み込まれ、ゴビを形成して消え去っているのが分かりました。 ステップ地帯といっても、まばらな草が生えているだけです。モンゴルの草原と聞くと、牧草地のように生えそろった草を想像しがちですが、ごく短い草が砂漠、土漠地帯にどうにか生えているだけなのです。のんびり成長するには自然が厳しすぎます。
今回は猛烈な嵐に襲われました。15年間、年に数回はモンゴルを訪れている主催者の山田徹さんは「初めての体験」といい、モンゴル人スタッフの親玉、ムッコさんも「今の時期にこんな酷い天気を経験したことはありません」と言っていました。しかし、これも自然です。1人の経験など知れたものです。そういうことも教えられました。ステップ地帯に生きる遊牧の人々はとても親切で、優しい人です。かつてパリ~ダカールでも、初めの頃はサハラに生きる人たちや、オアシスの町はラリーを優しく迎えましたが、年を追って優しさは消え、ものが盗まれ、何でも高く売りつけるようになりました。
モンゴルでそういうことはありません。モンゴル人スタッフが沢山いることも、同じ国の人と同じ国の言葉での話します。かつては西アフリカへの侵略者、略奪者、そして支配者として君臨したフランス人の主催するパリダカとは異質なものです。
モンゴルが光輝いたのは、大昔です。朝鮮半島を支配下に入れ、日本へと攻め込んだ「元寇の乱」の兵士の多くは、朝鮮民族がかり出されたものです。
今もモンゴル人の間にチンギス・ハーン時代に大帝国を築いた誇りは連綿と続いています。時にそれがジジには理解しにくい軋轢を生むようにも感じました。モンゴル民族主義です。近代化のトップにいる日本と発展途上のモンゴルの、親しみは持っても、何とも言い難い感情でしょうか。
しかし、何となく通い合うものがあります。同じモンゴロイドは相手の気持ちを読み取りやすいのかも知れません。「遠くの日本へ来た」と前に書きました。違和感と親近感がない交ぜになっているようなのです。
今、首都ウランバートルは爆発的な発展をしつつあります。地下資源を狙う禿鷹のような世界の企業が、モンゴルへと押し寄せています。日本の対応は遅れがちです。ヤクザ企業が開発をやったりしていますが、ろくな印象は与えていません。派遣されている政府関係、経済支援関係の人も、おおよそ、落ちこぼれの定年退職者で、外務省が本気でモンゴルとの交流をしようと考えている節は、少なくともジジには見当たりません。
ラリーを追っていて、日本外交のお粗末さも気づきました。アフリカではもっと酷い外交関係です。アメリカ、EU以外に赴任する大使や領事を初めとするスタッフは、これまで出会った限りでは、余りやる気がある人には思えません。
素晴らしいモンゴルの大地をモンゴルの人たちとともに駆けることで、小さいけれど、一般市民レベルでのいい関係を築き上げることも出来そうです。お相撲に関しては、言いたいことが沢山ありますが、ここでは止めておきます。
荒れた天候が2日間、続きました。SSERのスタッフの働きには、瞠目すべきものが沢山ありました。滅私奉公がいいとは言いませんが、見方によっては滅私奉公です。こう言いたくなるくらい、スタッフは素晴らしい動きをしていました。
冷たい雨、強風、ぬかるんだトレール…。そんな中でバイク参加者の何人かは“行き倒れ”寸前になったのです。行方不明や動けなくなった人をどうやって救い出すかは、スタッフの行動力と、チーフの山田徹さんの判断に全てが掛かります。
SSERではもう、今の日本では失われてしまったようなチームワークが発揮されていました。疲れを知らない働きがありました。どうしてこんな活力や行動力が生まれてくるのか、今の時代には希有なことです。無償です。自ら参加費を支払って意気に感じてやって来た人もいます。
好きだから、というだけではありません。人はやるべき仕事を任せられ、ベストを尽くすことに生き様を感じるのかも知れません。ラリーを走っている人とは、また異なった使命感、達成感を満たすために、スタッフは献身的な努力をするのでしょう。日本で失われつつあるものが、SSERのスタッフには生き生きと息づいていました。
キャンプ地の設営、食事の準備なども、コースに展開するスタッフとは異なった重要さがあります。8月のモンゴルでは、暑さ対策が大切です。熱中症はもっとも危険です。疲れてたどり着いた参加者に食事の供給、寝るところの確保は何より大切です。男たちは設営を指揮し、女性スタッフは食事作りを食材の少なさに、めげることなくやっていました。
毎日が日本食です。他のラリーではあり得ません。
敢えて言えば“山田組”のスタッフは、見事に分業をこなしていました。本部事務局の何気なくこなす仕事は、普通のOLなら、半日でひっくり返るか、不満の山をまくし立てて、その日限りでお終いでしょう。本部事務局の女性、2人のタフさ、誠実さ、何よりも鮮やかにこなしていく仕事ぶりの凄さには驚きました。
可愛そうな参加者がいました。牽引されたり、様々な支援がなければ、ステップやゴビでお終いになっているようなチームでした。余計なことですが、ジジは見ていられずに思わずそのチームの1人にきついことを言いました。悪い奴、というか、彼女たちが無知なのにかこつけ、偉そうにアドバイズして、モンゴルのステップやゴビ、山岳地帯を走れない車を作ってしまいました。大金を取ってです。タダでもどうかと思いますが…。
あのスピードならノーマル車の方が余程マシです。メーカーが造ったままの市販車のポンコツが、平気で走るところを、日本のラリーストと称する“いんちき野郎”たちが、真っ当な車を改造し、真っ当でなくしてしまいながら金を取り、走れない車を作り上げただけです。ドライバーはクロスカントリー未経験ながら、速く走る腕は持っています。こんな改造をしたのなら、鼻高々の、日本の元ラリーストは、とっくにひっくり返ってリタイヤ。怪我でもしているでしょう。クロカンの車作りが分からなかったらなぜ、砂漠の達人たちに問い合わせなかったのでしょうか。そこに増長ぶりが臭います。
ああ、情けなや!日本のラリー界でちょっとは名を知られた男たちの無知が、クロカンにチャレンジしてみようという女性を結果的に騙したのです。本気で騙したのかどうかは知りませんが、車高、足回り、クラッチストローク、デフロック…。偉そうに知ったかぶりをして、結果的には金を取って騙したのです。クロスカントリーの状況も知らず、平らなダートを走る車を作り、大金をかけさせたインチキぶりを、モータースポーツ好きの心ある人々は、彼らを糾弾すべきです。ジジは4人の男の名前を挙げることすら、嫌悪感をもっています。こんなありさまでは底辺を広げることが大切な日本モータースポーツ界の衰退を加速させるばかりでしょう。
第1部の終わりに
ここでも言いたい放題です。今の人はお利口で、言いたいことも言いません。それでは世の中、良くならないな、と思っていますが、ジジがいくら悪態をついたところで、政権争いだけに集約され、将来の日本など関係ない政治家がうごめくのではどうにもなりません。
だからといって無力感に囚われることもありません。モンゴルのラリーを追いかけて、年寄りなら疲れて、減るはずの体重は大分、増えました。朝早く起き、1日3度、時に4度の食事をし、動いていれば健康なのです。大酒を飲んでいる暇はありません。飲んでも隠れ酒程度で、知れたものです。脳天気なのも幸いしているのでしょう。
来年もラリー・モンゴリアに出かけてみたいと思っています。何となく視点を変えて、大いに楽しもうという見通しも立っています。第1部はこれで終わりです。第2部でジジはさらにご託を並べます。